神童と呼ばれた女子が、わたしが通っていた小学校の1年先輩にいた。
朝長さつき。1959年生まれ。浦和市立高砂小学校(現、さいたま市立高砂小)のころ、同校始まって以来の天才少女が現れたと言われたのである。それは幼いわたしの耳にも入ってきた。「天才」ということばの意味を初めて知ったのは、朝長の存在によってである。あまりにも頭がよかったので、彼女はちょっとした有名人だった。
小林哲夫『神童は大人になってどうなったのか』(太田出版)
高砂小学校の先生は彼女の将来に期待していた。当時、埼玉県内には、成績が優秀な女子ならば、高砂小学校、岸中学校、浦和第一女子高校という「エリートコース」があった。でも、朝長はこのルートには乗らなかった。さらなる「エリートコース」をめざしたからである。それが、当時、首都圏の中学受験で女子にとっては、もっとも難関だった東京教育大学附属中学校だった。いまの筑波大学附属中学校だ。朝長は、難なく合格する。そのまま同大学附属高校に進んだ。
続きは、神童→東大法学部→暴言議員という”定番”(プレジデントオンライン)
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